ふと思い立って実家に帰ったものの犬と遊ぶ以外に何をしようというわけでもなかったので綾辻行人『霧越邸殺人事件』を読んだりして。高校生の頃に読んだときはすげぇすげぇと部屋を転げ回った記憶があるんだけど、十ン年後に読み直してみると、うん、いやはや、なんとも。僕の頭には好ましからぬフィルタが備わっているらしい。「主人公が屋敷のドアを開けると外は湖でも吹雪でもなくて底なしの闇。実は、どこからどこまでもが、全部作り話でした。あはん」という内容だと勘違いしていた。なんでだろうね。皆川博子の毒気にやられたか、某ゲームのチェーンソの衝撃を引きずっていたのか、はたまた大説の御大に騙されたのか。巻末のキヨポンの解説の白々しさもまた身悶えを誘う。夜10時に身体を捩りながら「きょわー、恥ずかしい」と叫んだら、我が愛しの大豆が腹の上に乗っかって遊べとはしゃぎ始めた。うん、現実逃避はイクナイ。ちなみに大豆はシーズー。生まれたときに不安になるくらい小さかったからという理由で名付けられたマメという親から生まれた双子のうちの、大きいほう。無論、小さいほうは小豆。よくよく考えてみれば、我が家の犬の名前は考え方次第では虐待だ。生まれた時に読んでいたのがマサルさんだったからという理由だけでメソと名付けられたり、モモという親から生まれた柴犬は小さかったのでモチと名付けられたり、シーズーであるにも拘らずチョビと名付けられた犬(のちに親に尋ねたら「長女で美女だったから」らしい)の子供はチョチからチョッチになり最終的にはちぃになった(僕は最初のころはちぃちぃと呼んでいたが、そのうち父と呼ぶようになった)。ところで犬の話ではなく綾辻の話だが、あぁもうめんどくさいので、そうだゴダードを読もうと、そういうことになり、でも千尋の闇が見つからなかったので一瞬の光のなかでを持ってきた。

さて。