佐藤哲也『下りの船』を読み終えて

いろいろ打ちのめされてたりする。反復と「〜だった」を多用する文体が、絶望だなんていう人間的なものすらほったらかしにされたただの閉塞感ばっかり記述していくのですよ。なんたって人間の数え方からし「平均して十一パーセント」といった調子ですから。

あと、「収穫」のアヴのセリフがすごいのです。

たしかに、決めることには慣れていません。間違った選択をしようとしているのかもしれません。でも、ヌウジのことが気にかかるのです。ヌウジはよい人間です。一緒に仕事をしていた仲間です。ヌウジのために、なにができるのかはわかりません。ハイ・シャラへ行って、できることを探そうと思っています。そして、もし自分にできることがあるのなら、それをしたいと思うのです。

で、そのあとにはそんなかわいいアヴをたった2ページで徹底的に相対化しちゃう「肖像」があるわけ。徹底的に相対化しちゃったからこそ発生する最後の「風景」で、いやはや胃が痛くなっちゃったよ。

Benbeculaのminerals seriesがなくなっちゃうそうで

ArayaとかFraetなどの佳作が突然送りつけられるという幸せをもう享受できないのかと思うと、とても残念。お詫びメールには「コストパフォーマンス悪すぎでしょ?」って書かれてたけど、もし年間リリース数が少なくて申し訳ないって言っているのであれば「そんなことない! 僕はCDを入手することに対してお金を払っているんじゃなくて、Benbeculaという優れたレーベルに対して投資してるんだ!」と怒りたい気分だし、逆に「この徴収金額じゃあとてもじゃないけど経営成り立ちません」っていうのであれば、いまの2倍の金額を払ったって構わんよ。

あーもう。腹立つなぁ。